ダンスと哲学について

カント曰く「音楽や絵画、ダンスに人々が心地よさを感じるとき、想像力が働くことでそれが起こる」

それを真っ向から批判したのがエトムント・フッサール。彼は、例えば古い絵画(二次元平面)を見たときにその場にないものが見えてくる(三次元空間)ことを「イリュージョン」と呼び、カントの「想像力」は「イリュージョン」にあたると説明していた。このイリュージョンは「Perceptive Fiction(知覚状の虚構)」とも呼ばれている。(フッサールがそう提言している)

他にも我々が文化に遭遇したときに感じる思考について、アメリカの女性哲学者スザンヌ・ランガーは「Virtual」というキーワードを使って説明していた。
我々が、至極一般的にヴァーチャルと聞くと、ヴァーチャル・リアリティが思い起こされる。しかし、Virtual≠irreal(Realの対義語)ではない。Virtualの語源はラテン語で「Virtus」、徳という意味だ。徳は、目に見えず掴むことのできない、ある種概念的なものである。徳は、“私”の日々の行為によって相手が心地よい感じるものである。

つまりVirtualとは、その場にないもの(別の三次元空間)から我々の空間に何らかの効果を及ぼすということで、徳という言葉から派生したのもうなずけるだろう。初めて映画を観た観客たちが、スクリーン上で動く機関車を見たときに、飛び出てくるのではないか、とおびえて全員逃げ出してしまったエピソードなどは、ヴァーチャルリアリティのいい例だ。

全てのアートはVirtualである――ランガーは、絵画はVirtual Spaceを、音楽はVirtual Timeを、踊りはVirtual Powerを生み出すと説明した。パ・ド・ドゥ(バレエで二人で踊ることを意味する)で空中に浮かぶような踊りをしたとき、その運動において重力がまるでないような「イリュージョン」を我々は見てしまう。

このように受け手側がVirtualなイリュージョンを見ている環境下ならば、いっそのことストーリーはいらないのでは?と考え出したのが、アメリカにバレエを広めたジョージ・バランシンである。彼はバレエの踊りをより抽象化させ、見ているものの知覚状の虚構を踊りによって作り出すことを追求した。

また、バレエにおいて相貌というものは重要なポイントである。相貌は姿勢、視線、表情、などを視覚や聴覚でもって心理・感情を読み解くことが出来る要素だ。イリュージョンはというと、前述したとおり実在を見て別の空間などが生み出されるもの。両者の違いは、前者は物理的条件がその場に残り続けるが、後者は逆に物理的条件が見えてしまうと、そのイリュージョンは解けてしまうということだ。

物理的条件とは何か、具体的な例を挙げよう。バレエダンサーが白い衣装をまとって空中を飛び回っている。そこではまるで浮遊しているようなイリュージョンがあるが、ダンサーの体重(=物理的条件)などが見えてしまうとそこでイリュージョンは解けてしまう。また、どんなに綺麗な絵画でも、絵の具そのもの(=物理的条件)が見えてしまえば、絵の具の集合体にしか見えなくなってくる。