TWERK ダンス・イン・クラブナイトについて(Twerkのおおまかな歴史とかも)

ここ一週間全身が上手く動かない。モチベーションとしていたTokyo Dance Airのことも後回しにしてしまうほどだったので、学生割を買っておけば2,500円のところを当日券で購入してしまった。何かもったいない。
 
18時から少し遅れスパイラルホールが開場すると、すでにそこには5人のダンサーがクルクルと回り続けている。トルコのセマーやスーフィーダンスのごとく永遠と回る彼らだが、それらと異なり回りながらも平行に移動しているように見せる動きはクラブのミラーボールのよう。
 
 
端的に感想を述べると、「照明が有効的に使えていない」。もちろんずっと明るかったわけではない。開始10分ほどでステージは暗転、我々の視力は一瞬暗闇に奪われ、低音の鳴り響く音だけに耳を傾けるシーンがあった。再び照明が照らされた瞬間、5人は消え去り一人のダンサーがY字バランスをとる。点滅する照明と回りだすダンサーには驚きを覚えたが、本当に驚きを覚えただけで、それ以外に何も感情を抱かなかった。いかんせんそのシーン以外、暗さと踊りの融合で感動を覚えた箇所は、最後5人全員が横向きになり腕と脚を回す、バタフライナイフのような整然とした動きだけであったから。
ダンスフロアに華やかな光とは言うが、その光を演出するためには暗闇が必要である。Dommuneの代表である宇川直宏が視覚表現において「フロアに明るさを持ち込むならば、太陽ではなく、月になろうと…」と提言したように、暗闇の中で照らされる月明かり程度の光がクラブでは重要ではないだろうか。
 
また欠如していたのは暗さだけではない。本場のTwerkをこの目で間近に見た経験は無いが、少なくともクラブにおけるダンスは身体のみのコミュニケーションが可能だと考えている。となると、観客をも動かす音楽と踊りの共同性があるのではないかと期待を持っていたのだが、私の周りではその土着に満ちた猥雑な身体表現に対して、嘲笑にも近い笑いが起きており、少し肩を落とした。目の前にステージが広がっていて、音楽がそこにあるにも関わらず、私たちは動画サイトで奇妙な動作をするパフォーマーを見ているのと何ら変わりないのではないか、と頭の隅で考えていた。
 
麻薬を使用したかのごとく不可思議な踊りをするドラァグ・クイーンやダンサーがまぐわい、局部を見せなければ何でもありなのか、とトップレスになるダンサーも現れる。ある程度批判はしたが、真っ白いステージ上で踊る彼らは官能、という概念すら忘れさせるようなステージングをしていたため、ぶっ壊したかった日常の半分くらいは捨て去ってくれて、中々に良い体験だった。モッシュやダイブなどといったカルト的な熱狂、そしてTwerkとタイトルに掲げていただけあって、今や既成概念さえ持ちうるそのワードなどを越えた、わけのわからない領域までいくパフォーマンスが見たかったというのが本音であったが。
 
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話は変わるが、「Twerk」という単語から連想する音は、BPM100程度という気持ちで会場に入ったものの、鳴り響くサウンドは明らかにUK Bassの低音がしていた。何故?
 
Twerkは2013年にオックスフォード辞典に言葉が追加されたが、実はここ数年の流行ではなく、初めて音楽とTwerkが最初に交わったのは1993年のDJ Jubilee - Do The Jubilee All。場所はニューオーリンズに位置し、ジャンルとしては80年代初頭に確立されたBounceに分類される。歌詞の中に「Twerk baby, twerk baby, twerk twerk twerk baby…」という一節があり、この曲で初めてTwerkという単語が使用された。95年には同じくBounceのCheeky Blakkがタイトル中にTwerkという単語を使用、後にBeyonceもお尻をアピールするダンスをしながらTwerkという単語を曲中に入れた

 

転機は2009年。Youtube上に投稿された「Twerk Team」なるグループによるダンスの動画。現在では50万近くのチャンネル登録数を誇る。もともとはダンスチームであったらしく、Soulja BoyのPVに2008年出演。


Twerk Team-Let Me See It - YouTube

その後2012年にオリジナルのハウツービデオを公開する「Howcast」というチャンネルが「How to Twerk」という動画を投稿。この時点で、造語の単語であった「Twerk」がストリップショーのようなダンスとして認知され始めていることがわかる。

13年にTwerkの存在を知った私が初めて「Twerk」として認識したのがMAJOR LAZER のBubble Butt。また他にも有名どころだと、ディズニーチャンネルのドラマ「シークレットアイドル ハンナ・モンタナ」で主役をつとめたMiley CyrusのWe Can't Stopなどが分かりやすくTwerkを踊っている。こちらのサイトではTwerkが踊られているMVをまとめている。


MAJOR LAZER "Bubble Butt" on Vimeo

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今回DJをつとめていたのはイギリスはロンドンのレーベル、Butterz RecordsのElijah & Skilliam。まったくチェックしないで入ったため、私自身の想像していた上記のような典型的Twerk用の音ではなく、Grimeが鳴り響いていたことの違和感があっただが、理由はここにあった。

というのも、Butterz RecordsがリリースしているほとんどがGrimeやUK Garage、Dubstepなどのジャンル。Outlook Festival(日本の)周辺の音楽(Trekkie Trax)を好んで聞いていたため、「何かDJで聞いたことがある曲が多い…」と感じ気がついた。そういえばTrekkie TraxとButterz Recordsは繋がりがあるようだし。ElijahとSkiliamがB2BでDJをしていたが、会場はこんな感じの曲が流れていた。

Danny Weed - Creeper (Royal T Remix) - YouTube

040 - Let It Be Known - YouTube

正直自分が少なからず浴びていたBass Musicのカルチャーとダンスが交じり合っているのには嬉しかったが、客層は一回りも上の人が多かったので彼らがこのステージを見て率直にどう感じてるのか知りたいという部分も大きい。決して手放しで称賛できるものではなかったが、パフォーマンスを見ることでこうして物事を思考するきっかけが出来て少し楽しくなってきた。きちんとダンスを見るのが今回初めてだったため、Babel(words)とかを見逃さないようにまた色々見たいと感じている。あと、ちょっと元気になったかもしれない。

ダンスと哲学について

カント曰く「音楽や絵画、ダンスに人々が心地よさを感じるとき、想像力が働くことでそれが起こる」

それを真っ向から批判したのがエトムント・フッサール。彼は、例えば古い絵画(二次元平面)を見たときにその場にないものが見えてくる(三次元空間)ことを「イリュージョン」と呼び、カントの「想像力」は「イリュージョン」にあたると説明していた。このイリュージョンは「Perceptive Fiction(知覚状の虚構)」とも呼ばれている。(フッサールがそう提言している)

他にも我々が文化に遭遇したときに感じる思考について、アメリカの女性哲学者スザンヌ・ランガーは「Virtual」というキーワードを使って説明していた。
我々が、至極一般的にヴァーチャルと聞くと、ヴァーチャル・リアリティが思い起こされる。しかし、Virtual≠irreal(Realの対義語)ではない。Virtualの語源はラテン語で「Virtus」、徳という意味だ。徳は、目に見えず掴むことのできない、ある種概念的なものである。徳は、“私”の日々の行為によって相手が心地よい感じるものである。

つまりVirtualとは、その場にないもの(別の三次元空間)から我々の空間に何らかの効果を及ぼすということで、徳という言葉から派生したのもうなずけるだろう。初めて映画を観た観客たちが、スクリーン上で動く機関車を見たときに、飛び出てくるのではないか、とおびえて全員逃げ出してしまったエピソードなどは、ヴァーチャルリアリティのいい例だ。

全てのアートはVirtualである――ランガーは、絵画はVirtual Spaceを、音楽はVirtual Timeを、踊りはVirtual Powerを生み出すと説明した。パ・ド・ドゥ(バレエで二人で踊ることを意味する)で空中に浮かぶような踊りをしたとき、その運動において重力がまるでないような「イリュージョン」を我々は見てしまう。

このように受け手側がVirtualなイリュージョンを見ている環境下ならば、いっそのことストーリーはいらないのでは?と考え出したのが、アメリカにバレエを広めたジョージ・バランシンである。彼はバレエの踊りをより抽象化させ、見ているものの知覚状の虚構を踊りによって作り出すことを追求した。

また、バレエにおいて相貌というものは重要なポイントである。相貌は姿勢、視線、表情、などを視覚や聴覚でもって心理・感情を読み解くことが出来る要素だ。イリュージョンはというと、前述したとおり実在を見て別の空間などが生み出されるもの。両者の違いは、前者は物理的条件がその場に残り続けるが、後者は逆に物理的条件が見えてしまうと、そのイリュージョンは解けてしまうということだ。

物理的条件とは何か、具体的な例を挙げよう。バレエダンサーが白い衣装をまとって空中を飛び回っている。そこではまるで浮遊しているようなイリュージョンがあるが、ダンサーの体重(=物理的条件)などが見えてしまうとそこでイリュージョンは解けてしまう。また、どんなに綺麗な絵画でも、絵の具そのもの(=物理的条件)が見えてしまえば、絵の具の集合体にしか見えなくなってくる。